夢-夕陽と寂寥

現在帰省中ですが最悪です。
意気揚々と帰省したはいいもののなんと風邪を引き、3日近くベッド無駄に転がっています。鼻水が止まらないし喉が痛い。せっかくの帰省が。

 

ところで先程夢を見ました。

 

 

父親の姿がおぼろげに浮かんだ。 茶色い帽子に茶色いコート、茶色いボストンバッグ。紅葉の中に、夕陽を背にした父の姿は、今にも景色に溶けてしまいそうだ。

父は忙しく飛び回っていた。

あまり会えない父は、いつか本当に僕の前から消えてしまうのではないかと思っていた。生活のためだったのか、母もまた忙しく働いていた。忙しなく動き回り、そのまま僕の下から去ってしまいそうだった。全部消えてしまいそうだった。

 

気がついたらそこは病室だった。

正確に言えば、病室のような空間だ。十分明晰であればそこを病室とは言わないだろう。

病室にしては不釣り合いな大きさの大部屋。その大部屋が横に長いとすれば、その縦の方向に簡易な間仕切りが置いてあった。ちょうど健康診断の時の保健室にあるような、視線だけはある程度遮ることができるが声や気配は筒抜けになるような、そういったものだ。

そして、一つ一つの縦に伸びた空間は、まるで廊下のようになっていた。僕はベッドに横たわっている。だが、周囲と僕を隔てるものは何もない。僕のベッドの横を、薄桃色の制服に身を包んだ看護婦が忙しなく通り抜けていく。5mくらい先には、僕とは別の人のベッドも見える。

ちょっと黄色がかった白を基調にした、床の色、壁の色、天井の色。ベッドの清潔な感じ、壁に貼ってある健康診断のポスター、病院に特有の匂いと空気感。それらは全て病院のものだった。夢の中だったので、病院だと思った。

僕は人の多い環境を好まないはずだ。このような不自然に衆人に開放された環境は、落ち着かないものとして感じられるはずだった。

でも、その大部屋は不思議と居心地が良かった。

 しばらくはその部屋を歩き回っていた。どうやら寝たきりというわけではなく、問題なく動けるらしい。

不意に猛烈な喉の渇きに襲われた。ふと見ると、そこには蒸留水を入れる容器*1が並んでいる。どうやら水が入っているらしい。勝手に僕のような患者が触ったら不必要な感染を招いてよくないだろう、と思った。横に誰かいるような気がした。友人のような誰か。その誰かが許可を出してくれた気がしたので、結局その水を勝手に飲んだ。2回ほど。渇きは満たされなかった。

 

不意に、本当に不意に、天気が荒れ始めた。空が真っ黒に染まり、激しい雨風は建物を外界から遮断するかのようだった。どうやら異常事態のようで、なぜか病人も看護婦も医者も人が一斉に僕の居る側に集まってきた。辺りはちょっとした混雑状態になった。

雷鳴が轟き、皆が一斉に悲鳴を上げた。異常な怯え方で、どうやらただの自然現象ではないらしかった。それは何らかの攻撃のようなものだったらしい。窓の外が光で満たされる度に、窓が軋むような弱っていくような。そんな変な感じがした。要塞にいて砲撃を受けているような気分だったのだろう。なぜか僕だけが醒めていたが、他の人は大部分が平静を失っているようだった。

不意に僕の横にいる外国人留学生が、何かをわめき出した。それが何だったのかが思い出せない。何かプロパガンダのようなものというか、混乱して精神的なことを叫んでいたように思う。流れがそちらに向いている気がしたが、彼の考えはひどく気に食わなかった。室内はちょっとした暴動のようになっていて、皆がもみ合っていおりすべてがよくわからなくなっていた。僕はその不快な外国人留学生を絞め殺した。自分の中の凶暴性に驚く間もなく暗転した。

気がつくと全部静かで病院の廊下を歩いていた。長い長い廊下。病院のようだったが、小学校のようでもあった。右側に並んだ窓から、夕陽が斜めに差し込んでいた。

僕の前を歩いているのは白衣を着た女性だ。要は女医なのだろう。だが医者という印象は受けなかった。今から僕はこの人に裁かれるのだろうなと思った。長髪と白衣が夕陽に照らされてオレンジだった。

廊下の壁には何やらこの病院の立派な業績が書いてある。変に特徴的なのが、やたら一般向けにわかりやすく、しかも32個に絞って一つ一つ紹介しているという点だ。「脳外科 世界初の〇〇の手術を成功させ、〇〇病の治療法の確立に貢献」みたいなやつが32個並んでいる。世界的にすごい病院なんだろうなと思った。なんでこんなすごい場所に囚われることになったんだろうと思ったが、何も思い当たらなかった。

ふと目の前を歩いていた女性が振り返った。顔はよく見えなかったが、なんだか母に似ているなと思った。何か言うのかと思ったが何も言わずいつの間にか消えてしまっていた。病院に一人残されたと思った。夕陽に照らされた空間には、寂寥だけが満ちているように感じられた。

 

 

夕方に眠り始めたが、目覚めたときにはもう夜になっていた。喉の渇きを感じた。

懐かしい感情を抱かせる夢だった。

夕陽と寂寥。

一人っ子で両親は共働き。夕方に家にいるというのは案外少なかったが、そうなったときはいつも家に独りだった。夕方というのは、なんとなく寂しさを感じさせる時間帯だった。

昔は病弱だったのでよく風邪で寝込んでいた。学校を休み風邪で寝ていると、やはり夕方には独り取り残される。家の西側の窓からはそれなりに光が入るので、僕一人が転がっているだけの時間帯には室内照明を落とし、窓から入る明かりだけで過ごしていた。

夕方になり差し込む西陽。

オレンジ色に輝く窓を、オレンジ色に染まる室内を。今ではぼんやりとしか覚えていないが、夕陽を見るとどうしても感傷的になってしまうのは、やはりこの記憶から来ているのかもしれない。

夢の後半はずっと夕陽だったし、最後には独り取り残されてしまった。裁いてすらもらえなかった。たとえどれだけ周りに人がいようが奪おうが脅かされようが殺そうが、結局は独りになるしかない、という夢だったのだろうか。

 

まあ、夢なんてものはデタラメなものだ。そういえば夢の最初の方で父が各地を飛び回る忙しい人みたいな感じになっていたがあれは嘘である。父は別に全然飛び回ってないしずっと僕と同じ家に住んでいて毎週日曜日は一緒に過ごしていた。夢に意味なんてないのだろう。それと言うまでもないが外国人留学生を絞め殺した過去はないし、絞め殺したいという願望もない。夢の中の全てが何かの反映だなんて思うほうがどうかしている。

それでも夢というのは何か特別なものに感じられてしまうのはなぜだろう。なんだか夢のほうが豊かな経験ができるような気さえする。案外、目を開いて普通に歩いていくより、目を閉じて生きていくほうが僕には合っているのかもしれない。

*1:こういうの↓

 

ハンディ・クラウン 丸型洗浄瓶 250cc

ハンディ・クラウン 丸型洗浄瓶 250cc

 

 

なんだかアフィブロガーになった気分だ(なっていません) 

夢-故郷

↓こんな感じの夢の話をするだけです

 

とても懐かしくて苦しい夢を見た。

最近毎日昼寝をしていて20分で起きるようにしている。20分くらい寝ると深い睡眠に入らずに済みかつ日中の眠気が取れるので丁度いい。今日もそうしようとしたが前日までの疲れがあったのか20分過ぎてアラームを止めた時には既に眠気にズブズブで次の瞬間には帰宅していた。帰宅していたがドアを開けた先は本来あるはずの東京の住処ではなく白黒の実家だった。グレーなんてものが存在しない文字通りの白黒で、太い筆で描いたみたいに机や壁だけが滲んだ線と面だけで抽象化されて目の前に存在していた。いつの間にか東京の家がどんなものだったかが思い出せなくなっていた。右前と左前2箇所に2つの部屋があって扉が開いているのが見えた。僕は部屋に入っていったが視点がそこから動かなかったので動き回っている自分を見つめていた。しゃがむことも物を調べることもできず机の周りをぐるぐる回っていて3Dのゲームをしているような気分だった。でもその時はゲームというものには思い至らなかったので不自由だなあと思っていた。不意に今この家には父も母もいないと気がついて寂しく思った。

映画を見ていた。映画館ではなくでかい大学の講義室みたいなところだったが*1、最前面には何かしらの映像が映し出されていた。怪獣を倒す話だったような気がする。後ろ半分の最前列で映画を見ていて、休憩が始まったら前半分と後ろ半分の真ん中の踊り場みたいなところで物販が始まったが、その時には後ろ半分の真ん中あたりの席にいた。横には旧友の山田がいたような気がする。山田の後についてやけに急になった上に長くなった階段を100段くらい降りると物販ではパスタサンドと手作りプリッツを売っていた。パスタサンドを食べると何の変哲もないところから突然極細パスタを揚げたものの束(茹でる前のそうめんにそっくりだった)みたいなのがいくつも出てきて不快だった。手作りプリッツを買わなかったので山田に「買わないの?」と言われたが、「まあプリッツだからね」と答えた。

劇場みたいなところにいた。そんなに広くなく、僕は部屋の隅にいたので全体が見えた。僕の居る隅の対角が舞台みたいな低い場所で、そこから広がるように客席が段々になって広がっていた。なので僕のいる場所は一番高い場所だった。舞台にはさっきの映画で見たかもしれないでかいタコみたいな怪物がいた。特に暴れるでもなく大人しくするでもなく、生物然としてうねうね動いているだけだった。最前列に居る大人たちは触手に薙がれながら携帯がどうとか騒いでいた。時間の経過とともにそのタコは大きくなっていったのでいつのまにか目の前にいた。触手が蠢き時折僕を撫でていった。間近で見るとグロテスクだし生臭いのであまりいい気分はしないなと思った。

いつの間にか白いエプロンを着けた???が僕を慌てた様子で部屋から連れ出していた。ドアがないと思っていたが背面にドアがあったらしく、ドアを出たら小学校の廊下だった。???は背が高いし僕は見上げる気がなかったから白いエプロンしか見えなかったし声も女性であることしかわからなかったが、恐らく僕は小学生で???は先生的な何かだったのだろうと思う。服が汚れたので着替えろと言われたので更衣室に一緒に向かっているようだったが、今日は入園式なので玄関に大量の幼稚園児とその親がたむろしていた。???は玄関の向こうに僕を押しやったので幼稚園の男子更衣室に入った。中には僕と同じくらいの男子1人と、上級生のように見える女子2人がいた。女子はこっちを見て笑いながら服を脱ぎ始めたので僕はいけないと思ってそちら側に背を向けたが、何がいけないのかはよくわからなかった。どうやら部屋の扉や窓が開いているようなので苦労して全部閉めるともう夕方で部屋には誰もいなかった。夕日が差し込む明かりのついていない部屋を見渡すと、安いプレハブの中みたいな場所で、ザラ板に布をひいただけみたいな床で、お外あそびについて書いてある紙が貼ってある壁で、意味が全くわからないけど懐かしい感じがした。安いタオルみたいな布を踏みしめながら、自分はここから来たのだと思った。

懐かしさに襲われたところで不意に今の自分は何なのかという疑問が出てきた。慌てて携帯電話を取り出して親に電話をかけると、自分の体が消えて僕は通話になった。その携帯電話は僕が中学の時に初めて買ってもらって1年しか使わなかったガラケーだったが、それしか携帯電話ではなかった。親は電話に出たし映像まで見えたが、こちらの呼びかけは全く聞こえないようだった。消えた自分を取り戻そうと懸命に呼びかけたが、意識に枷がかかったように重く何もできずに沈んでいった。その時の僕は意識だったので、そのまますべてが沈み込んでいった。父親が怪訝そうに画面を見ながら「聞こえないなあ……」と言い、やがて去っていくのを悲しく眺めていた。

起きた。相変わらず意識に枷がかかったようだったが肉体はあるようだった。東京の家が分かったし自分が大学生だということもわかった。手元にはガラケーではなくスマートフォンがあって、今の自分が何者かというのを少し教えてくれていた。それでも反射的に親に電話をかけていた。親の自宅も携帯も試したが応答はなかったので、やっと今は平日の昼間であり電話に出るはずがないということに気づいた。電話は諦めたが、自分を連れ去ろうとした夢の記憶を洗い流したいという衝動は消えず、しばらく躍起になってアプリで漫画を読んでいた。そこからしばらくしたらやっぱり記録しとこうみたいな機運が高まってきて今に至った。

時計を見ると、アラームを止めてから1時間しか経っていなかった。時間に対して情緒的な経験量が圧倒的に多いので驚いた。これなら起きているより寝ている方が効率がいいのではないだろうか。

*1:駒場の11号館に似てた、違ったけど

失敗

最近毎日生きることに失敗している。

何を以て失敗しているかは知らないけど最近ほんとにもうダメで、朝起きたら昼で飯食って寝たら夕方でポケモンやったら夜中だったりする。というかこういう記憶があったらまだいいほうでだいたいは一日の記憶を失っていて、しかも夜振り返ったら今日のことを覚えてないとかそういうのではなく一日中常に記憶がなくてさっきまでの自分がよくわからない。

何をそんなに失敗しているんだろう。

 

小学生の頃はゲームばかりやっていて、そこでは失敗と成功が明確に定義されていた。だいたいの場合は毛を抜くとか木を切るとか何か所与の条件を満たせたら成功で満たせないもしくは満たせなくなると失敗だった。現実世界は別にゲームではないのでそんな成功とか失敗とか出てくるわけではないはずだが、それでも人間は何かしら内部に失敗と成功を定義している。たぶんそれは社会から受け取ったものだ。受け取るのは受け手の問題なので社会がそれを発信しているとは限らないのだがともかく受け取ってしまった。

 

僕の根底には、「自らを形作ること」が成功であるという考えがある。

より消極的に、自らを形作れないことが失敗であると言ったほうが近いかもしれない。

 

学校に行って育ってきた。学校に行く、そこで座る、話を聞く、人とおしゃべりする、漢字を書く、数字を書く、係をする、ボールを蹴る、制裁を受ける、自分を殺す、この過程が矯正でなくて一体何なのだろう。受験というのはもっと単純で、大学の求める通りの頭を形成したら成功、できなければ失敗だ。一般的にはこれを成長と呼ぶのだろう。求められるままに自らを形作ることを。成長は善であるのでちゃんと成功者には報いらなければならないし、それゆえ失敗者は「発達障害」などの烙印で区別されなければならなくなった。自動的な肉体の成長が止まっても社会の値踏みが待ち構えている以上、我々大学生は成長を止めることは許されない。社会に入っても、多分これは解消されない。何もしていないと死ぬ。何もしていないと死ぬことに対して、僕は何もできない。

 

僕は社会の一部であるけど、同時に僕の一部は社会だ。社会が非成長を許さない以上、ここ最近の僕のだらけた時間は記憶として形を保つことが許されなかったんじゃないかと思う。あとに残ったのは失敗の印象だけだった。つらい。

 

時間を売って失敗を買う生活は単に気分的にあまり楽しいものではないので、そろそろ失敗から抜け出したい。でもだからといって別に成功はしたくない。そもそも社会が嫌いなので元から無理な話だ。「失敗」と「成功」という言葉は、漢字を見る限りあまり綺麗に対応した対義語とは言えないし、なんとなく実態もそんなもんなんじゃないかって気がする。失敗でもない成功でもない、その間隙を縫うように生きていけたらいいんじゃないかと最近思っている。