今週の実績解除:人の金で飯を食う
雑に言うと就活イベントみたいなやつです。
具体的な話は書いていいか全然わかんないのでそのへんはふわっと書きますが、複数社が参加しており、我々は話を聞くと同時に肉を食います、という感じのやつです。何がいいって、肉のクオリティがガッチガチのガチなんですよね。カッチカチに空目しそうですが違いますよ。むしろローストビーフは非常にしっとり柔らかでして、なおかつ噛みしめるとしっかり肉の旨味が広がり、上品なオリーブオイルと塩と噛み合いうまく、しかも腹に対して十分量が用意されてたんですよね。あとはなんか謎の肉団子があり、普通の肉団子というのはネッチョリしがちなのですがこちらは肉としての自我を残しつつ火が入ってキリッとしており、非常にしっかりとしたお方であるという印象を受けましたね(尊敬のあまり擬人化)。そしてその上に適度に酸味と甘味のあるソースが絡み合い、うま、という。あとなんか謎の部位の肉もあり、頬と聞いた気もするが忘却。というか頬だとしたら煮込んでトロっとさせるのが定石な気がするのだが全然違い、むしろサッと火を入れシンプルに味付けをし素材のコリッとした歯ごたえとコッテリ感が並走して押し寄せてくるやつだったので頬でないかも?不明。ともかくうまかった。これ全部合わせたとして等価なコースをレストランで食すと3000円くらい取られるんじゃないか?という気がしますね。バケットとちょっといい赤ワインを追加して5000円くらいで食いたいな、という気持ちになりましたし、今もそうなっています。
まあ飯も食えましたし、色んな社の話もサラッと聞けたので良かったです。1社すごくエンジニアさんが楽しそうで印象が良かったところがあるので、あそこのサマーインターンは出します。他はまあそうですね、イベ自体が社数に比して短かったし肉が美味しかったので印象が……。ともかく各社真面目にエンジニアを欲しがっているっぽくコンタクト先も提供されたので、説明聞いて気合が入ったなら突っ込んでいける感じはするのでよいのではないでしょうか。総じて良かったですね。そんな感じです。
そして話はこれで終わりではなく、なんと別日別件で寿司を食いました。こちらは合同イベではなく御社に赴いて普通に説明会、という類。なんか一般公開されてるものでもなかったらしいのですが、インターネットの海を回遊したり軽く水面をバシャってやったりしてるとどこからともなくボトルの入った瓶が流れてくるという話がありましてね。ちなみに他の人々は人間の連帯で来ていたっぽく、ソーシャルグラフで僕一人だけ孤立点という感じがしたので面白かったです。
寿司の話をしましょうか。寿司自体は某silverのdishで、delivery sushiを食べるの自体が初だったのですが、めっちゃうまい。deliSushiとしてはチラシ等で一番良く見る店なのでそんなグレードが高いやつではないんじゃないかと思ってたんですが普通にうまくてビビりました。具体的には僕の中では寿司のグレードが「ハイ(食ったことないけど、金額が万に達する店に行くと出てくるであろうと想定されるもの)」「ミドル(ハイでない寿司屋、うまい)」「ロー(回転寿司やスーパーの寿司、これはこれでうまい)」に分かれていてローが出てくるかと思ったらミドルの真ん中くらいのが出てきた感じ。あと重要ポイントとして、説明会の人数が少なくて寿司が余り気味だったので腹一杯食えたのと、ビールも飲めました。情報収集のつもりで赴いたら普通に息抜きになっちゃいまして、大変よかったですね。もちろん説明もかなりキッチリしたのを聞きまして、非常に印象が良かったのであそこのサマーインターンも出します。要求ラインだいぶ高そうだったなぁ……。
とまあ、こんな感じのことがありました。人の金で飯を食うというのは別に人生初ではなく、先輩におごってもらうみたいなのはサークルでももちろん普通にあったのですが、それとはまた別の感情になりますね。サークルの先輩におごってもらうのも非常に嬉しいのですが、やはり「いいのかな」「ありがたいな」「でもいいのかな」みたいな感情の揺れがどうしても発生してしまうんですよね。一方こういう企業系のやつに関しては、「僕が存在してるだけで向こうの広報ニーズを満たせる」と考えられる以上、完全にwin-winだと思い込めます。そのため、「そっちの欲求を満たしているのだから僕の欲求を満たしても何の問題もないだろう?フハハ」という感じで、終始強い気持ちで飯を食えまして、大変良かったです。そうそう、強い気持ちといえば、最初の肉イベントでは他の人が喋ってる中で肉を食うのに抵抗があったのですが、横にいたエンジニア志望氏が明らかに100%の意識を肉に集中させ、肉を食うという非常に強気のムーヴを見せており、僕も気兼ねすることなく強気で肉を食べられました。きっとこういうのを連帯感と呼ぶのでしょう。道徳ですね。
まあそういうわけで、意識高い優秀なエンジニア求職者のフリをするとおいしくておいしい思いができるという話でした。なお、実際は優秀なエンジニアじゃないので選考に落ちまくるのですが、これは些事です。
(おわりです)
今週の実績解除:救急搬送
先日、「仕事は楽しいかね?」という本を読んだ。意識高い系の間では超有名な、古典的書物の一冊だ。古典だけあってどっかで聞いたようなやつばっか書いてあったのだが、その中にふと目を引くフレーズがあった。
「明日は今日と違う自分になる」。
別に新規性があるわけではない。絶対にどっかで見たことがある。何なら最近はここで見たという具体的な記憶まである。そんな言い古された概念だ。この本が拡散元なのかな、とふわっと思っただけだった。ただ、読み通したとき、一番印象が強かったのがこの部分であった。たぶん、これは僕にとっての信条に近い、普段からの行動の根底になくもない、そんな位置にあるフレーズなんだと思う。理由立てて支持するようなものではないので、単純に「好きなフレーズ」だということだろう。
ここで出会い直したのもいい機会だ、とふと思った。そしてこうして書きとめておきたくなった。どうせなら、毎日とは言わないけど、週一でこうやって何かしら書きとめる機会でも作ろうかな、と思う。普段から僕は割と新規性を求めるところがあり、だからこそtwitterをよく見たり呟いたりしてるわけだけど、週に一度くらいは立ち止まって振り返ってみるのもいいのかもしれない。「今週は先週と違った自分に」なれているのか、ささやかながら確認していくのもいいだろう。
はい、というわけで今週の実績解除についてお話します。今週は非常に容易で、人生初の救急搬送という大イベントがありましたね。
ほとんどtwitterに書いてしまったので詳しく書くこともないんですが、月曜夜に出先で1時間くらいの間にガッと気分が悪くなり、なんとか帰宅して仮眠して起きたら高熱と共に意識がほぼ飛んでました。寮に住んでたのが本当にラッキーで、「死ぬほどつらい」という主観だけがギリギリある状態で管理人さんに電話とかして騒いでたらなんやかんやあって最終的に救急車呼ばれました。多分自分一人だと無限躊躇して救急車呼べてなかったと思うので、これは本当に救われましたね。あと「歩く」などの行為がほぼ無理でした。
意識飛んでたといっても、普段の意識レベルに比べて、「5割死んでて、4割がつらさで埋め尽くされてて、1割が平常運転」みたいな感じで、完全に飛んでたわけじゃないんですよね。救急車の中とか病院の中とかで、名前やら何やら色々質問されたんですけど、全部ちゃんと答えてたしその記憶もあります。救急車に乗せられた時とかも、「おお、これが人生初の救急車かあ。ほーん。」「しかし僕が動けないばっかりになんだか申し訳ないなあ」「神様のカルテ読んだ直後に救急搬送されるのタイミング良さすぎワロタ」という謎の冷静な思考が片隅にありました。まあ全然大丈夫じゃないにもかかわらず周りの人に「大丈夫大丈夫」ってめっちゃ言いまくってたので判断力はガタ落ちしてたと思うんですけどね。余談ですが、救急車内で横になってる状態で運転されると思ったより気持ち悪いです。
結局入院と同時にガッツリ各種検査をするも尽く正常値。背中に針刺して髄液取る検査が人生最悪の経験で、二度とやりたくないですね。CTスキャンは部屋がクソ寒く、脳波を取るやつは変なワックスをつけられて寝ていました。MRIも初めてやったんですけど、あれめっちゃ時間かかかるんですよね。30分くらいかかったのが普通にしんどかったです。あと、「装置音がうるさい」という理由で謎の愉快な曲が大音量で流れるヘッドホンを装着させられたのが面白かったですね。検査の進行にフェーズみたいなのがあるらしく、装置のガシャコンウォーン的稼働音が1章→2章→3章という感じで変化していくんですよね。どうでもいい経験でした。結局、医者からは「原因は全然わからんけど、まあ体調崩さないようにがんばってね」という意味の言葉を頂き、ほう。という気持ちで終了。木曜に退院しました。5万円くらい飛んで最悪でしたね。正直不摂生していたつもりもなく、反省のしがいが全くない、というのが正直なところです。「お昼ごはんを調子に乗っていっぱい食べたら眠くなっちゃった」とかの方が100倍くらい反省しがいがある。
まあ最終的に、人生は運ゲーだなということを再確認する以外に特に学びはないですね。しかしtwitterでも言ったんですが、僕には「祈り」、つまり「人生のままならなさと折り合いをつける行為」が足りてない。小説を読むのが今一番有力な祈りではないかという説が出ていて、読もうかなと思っています。まさしく、ままならない人生と向き合うシミュレーションですもんね。いい小説募集中。
そうそう、ままならないといえば課題がクソやばいですね。誰か助けてくれ(祈り)
(おわりです)
ハードルを下げる
ある程度まとまった文章しか記事にしてこなかったけど、適当なメモとかも置いていけるといいかもしれない。
というわけでハードルを下げるためだけにこの記事を投稿。
一人っ子の重圧
結論のない文章
今月はブログを書いていこうと思っていたのですが
月初めにこんなことを書いた。
中身はタイトルの通りで、今月はブログを頑張っていくよ、具体的にいくつ記事を書くとかは決めないけどね、と書いてあるだけの記事だ。
「数値目標を決めていないにしても、頑張ると言っているのだからなにかしらの記事を書くだろう」と誰しもが思うだろう。
まさか今日に至るまでゼロ記事とは自分でも思っていなかった。
まあ単にお気持ちを発表していただけで、特に何かの責任を引き受けたわけではないので、別にどこにも実害はないと考えている。強いて言えば「こいつ言ったこと実行しないしクソダサいな」という評価が僕に降りかかってくるくらいだが、これは実態に即した評価なので甘んじて受け入れるしかないだろう。
しかしそれにしても、どうしてこうなった、という当然の疑問が自分の中に湧いてくるのは避けようがない。それならいっちょ分析をしてみようと思う。自己分析だ。就活の練習になるぞ。てなわけでここから先は僕が就活の練習をするのみなので、「それは別にいらないです」という人が読むと「それは別にいらなかったです」が得られて終わりになりますが大丈夫ですか?
あまり1つのことを長時間考え続けないようにしている。
これは半分意識的に身につけた習慣で、生活を営むための手段だ。
僕の性質として、ずっと何かを考え続けると思考の淵に飲まれてえらいことになる、というのがある。というのも、考えながら同時に別の行為をするのが本当に苦手なので、意識的に思考のスイッチを切れないと悲惨なことになるのだ。特に、思考のスイッチを切り損ねた状態で「休む」という重要タスクを実行しようとすると、思考にも休息にも失敗して時間が虚無に溶けてゆくのがこの上なく厄介だった。
それを避けるための手段として、この習慣を身につけた。
思考にキリを付ける方法は一旦習得してしまえば簡単で、脳の中身をメモに吐き出したのち、後回しにしようのマインドを発動させることで実現できる。もちろん完全に思考を切れるわけではないが、これが意識的にできるのとできないのとでは大違いだろうな、程度の効果は得られている。
このスイッチ切りを習得したのは、1つの成功体験になっている。というのも、僕がこれをできるようになったのはここ数年の間のことだ。それ以前の、ひどい状態にあった自分自身のことは、まだ覚えている。
そして成功体験になっているが故に、この方法を他にも流用しよう、という発想が出てくる。
その先の1つがブログだった。
記事を書くとき、「常に1つの記事のみに取り組んでカッチリ仕上げる」「複数記事を並行する」という2つの方法が考えられる。このうち一点集中法のほうは、過去に失敗体験がある。中学生だった時分か、もうはっきりとは思い出せない頃だが、ブログでなにかを書こうとして空中分解した経験があるのだ。ちょうどブログが流行った時期で、おそらくインターネット水面下では普遍的に起こっていた現象なんじゃないかと思う。この逆を試したかった。
適当に思いついたことを箇条書きでも書き出し、気分が向いたら付け足す。たとえ細切れであれ、いつかはやる気の向いた時間の総和が記事に足るものになるだろう。そうなったら収穫すればよい。これは理念だけでなく実行には一応移していて、6〜7割くらいに達したかなというものが3つほど、それ以下の細々したものがもう少し多くできた。
こうして遂に1つも結実しなかったわけである。
まあ何が足りなかったかと言ったら、シンプルに費やした時間が足りなかった。
日に1時間くらい取れば何かしら上がってくるだろうという気持ちでいたが、その半分くらいしか実行していない。絶対量が足りない以上、何もできてこないのは当たり前だ。
でももう一個、仕上げに対する執拗さみたいなのも足りてなかったんじゃないかと思う。
1つに囚われると自由度が下がり、つらくなる。それはもうわかったんだよ、と思ったし、もう十分なんだよとも思った。失敗体験として忌避していた。でもこれは避けすぎだったのだろう。
この記事が、今月初めて仕上げた記事になる。
しかし、この記事は執拗さだけで書いている。
中断なしの3時間一気書きでここまで来た。
だからやっぱり、そういうことなんだろう。
執拗さも不可欠という、それだけの話だった。
……はい。まあ大体こんなもんだろう。なんとなく頭の中が整理されてきた。
もうちょい自分の中での展望が欲しいので、この記事を仕上げる執拗さはどこから湧いてきたんだろう、というお題も考えてみた。3つくらい出てきた。
まずは自分語りが好きなので死ぬほどノッた、という理由。応用の効きにくい理由だ。
そして事実の裏を取らなくていいラクさ。半熟記事の1つとして「小学生でもわかるコンピューターの仕組み解説」というのがあるのだが、少なくとも自分に出来る範囲で誤りを除かねばならずたいへん大変でなかなか進まなかった。それがないのはラクでよかった。
そして〆切による強制力。この記事のタイトルを思いついたのが今日で、このタイトルは日付をまたぐと無に帰すので強制力が出た。
うーん、役に立つ理由がないなあ。特に、〆切直前のパワーで駆動するのは「いつか破滅をもたらす最悪の手段」だと思っていてなるべく回避したいのだが。〆切駆動、普通に効果が出るのがむしろ厄介なんだ。チギっても社会的にやばくならない〆切を自分で作り出せればいいのだがうまくいかない、自分で適当に区間を切っても自分を一切説得できない。今回は偶然「タイトル的に日付変わるまでに上げないと整合しない」という説得力が出たけど……どうしたものか。ブログを用いた宣言空中投げも、事実として今月失敗してるし微妙な手段だ。それとももうちょいキッチリ言い切れば空中投げでも効果は出るのかな。わからない。展望がないという展望を得ました。
さて、別に自分で反省しただけでオチもなにもないので、最後に本筋から漏れた話だけ書いて終わろうと思う。
僕が文章を書く時に一番好きなフェーズは、序盤戦で方向が見えてからの「好き勝手に枝を広げられる中盤戦」である。終盤戦は枝刈りして全体を整える作業だと思っていて、これはあまり得意ではない。そういう選好を持つ以上、宙ぶらりんが複数できるという帰結は思い返せばまあ納得だ。
だからこそ、その傾向を自覚し、仕上げにも本腰を入れるようなマインドを形成し己を高めなければならない。
とかいうタイプの精神論が僕はクソ嫌いである。
精神論、だいたい具体性が伴わないから嫌だ。選好を自覚するまではいいとして、その先は具体的行動に出なければならない。ところで事実の認識として、「並行」「集中」というのは両立しない2つの別概念ではなく、1軸上の2つの極にすぎないというのがある。これを踏まえると、今回は「並行」の極に寄り過ぎたのがまずく、「集中」の極へ少し引き戻せばよい、という話になる。これは普通にシステムでどうにかできるんじゃないだろうか。保持可能な中途書きの数に上限を設ける、とかやればある程度バランスするだろう。こういう感じで自分のシステムを改善して自分を改善して生きていきたいと思っている。ポジティブですね。
(おわりです)
今月はブログを書いていこうと思います
基本的に我々人類は何かしらに挑戦したり今までやってたことを継続したりしながら生きていくわけですが、最近はこのサイクルを1ヶ月単位にするとちょうどいいのではみたいな説が僕の中で出てきてるんですよね
というわけで今月の目標を競プロとブログと読書の3つに決めたので、今日からブログを書いてみようと思います
とはいっても別に毎日投稿するなどのヘビーな課題を自らに課すようなことは一切せず、気持ち的にがんばるよというだけです
何のためにこんなことをやるのか、ということについてですが、それは自分でもよくわかりません。マジか?
とりあえず今浮かんでる雑な候補としては
・うどんを作ったことがない、という話
・コンピューターサイエンスを今持ってる知識で概説してみる
・魔法使いと黒猫のウィズ、そして隔絶
・体力と法律
などがあります。へえ
そういうわけで、やります。何のためになのかが全くわからないですね。わからない。何も。