今週の実績解除:救急搬送

先日、「仕事は楽しいかね?」という本を読んだ。意識高い系の間では超有名な、古典的書物の一冊だ。古典だけあってどっかで聞いたようなやつばっか書いてあったのだが、その中にふと目を引くフレーズがあった。

「明日は今日と違う自分になる」。

別に新規性があるわけではない。絶対にどっかで見たことがある。何なら最近はここで見たという具体的な記憶まである。そんな言い古された概念だ。この本が拡散元なのかな、とふわっと思っただけだった。ただ、読み通したとき、一番印象が強かったのがこの部分であった。たぶん、これは僕にとっての信条に近い、普段からの行動の根底になくもない、そんな位置にあるフレーズなんだと思う。理由立てて支持するようなものではないので、単純に「好きなフレーズ」だということだろう。

ここで出会い直したのもいい機会だ、とふと思った。そしてこうして書きとめておきたくなった。どうせなら、毎日とは言わないけど、週一でこうやって何かしら書きとめる機会でも作ろうかな、と思う。普段から僕は割と新規性を求めるところがあり、だからこそtwitterをよく見たり呟いたりしてるわけだけど、週に一度くらいは立ち止まって振り返ってみるのもいいのかもしれない。「今週は先週と違った自分に」なれているのか、ささやかながら確認していくのもいいだろう。

 

 はい、というわけで今週の実績解除についてお話します。今週は非常に容易で、人生初の救急搬送という大イベントがありましたね。

ほとんどtwitterに書いてしまったので詳しく書くこともないんですが、月曜夜に出先で1時間くらいの間にガッと気分が悪くなり、なんとか帰宅して仮眠して起きたら高熱と共に意識がほぼ飛んでました。寮に住んでたのが本当にラッキーで、「死ぬほどつらい」という主観だけがギリギリある状態で管理人さんに電話とかして騒いでたらなんやかんやあって最終的に救急車呼ばれました。多分自分一人だと無限躊躇して救急車呼べてなかったと思うので、これは本当に救われましたね。あと「歩く」などの行為がほぼ無理でした。

意識飛んでたといっても、普段の意識レベルに比べて、「5割死んでて、4割がつらさで埋め尽くされてて、1割が平常運転」みたいな感じで、完全に飛んでたわけじゃないんですよね。救急車の中とか病院の中とかで、名前やら何やら色々質問されたんですけど、全部ちゃんと答えてたしその記憶もあります。救急車に乗せられた時とかも、「おお、これが人生初の救急車かあ。ほーん。」「しかし僕が動けないばっかりになんだか申し訳ないなあ」「神様のカルテ読んだ直後に救急搬送されるのタイミング良さすぎワロタ」という謎の冷静な思考が片隅にありました。まあ全然大丈夫じゃないにもかかわらず周りの人に「大丈夫大丈夫」ってめっちゃ言いまくってたので判断力はガタ落ちしてたと思うんですけどね。余談ですが、救急車内で横になってる状態で運転されると思ったより気持ち悪いです。

結局入院と同時にガッツリ各種検査をするも尽く正常値。背中に針刺して髄液取る検査が人生最悪の経験で、二度とやりたくないですね。CTスキャンは部屋がクソ寒く、脳波を取るやつは変なワックスをつけられて寝ていました。MRIも初めてやったんですけど、あれめっちゃ時間かかかるんですよね。30分くらいかかったのが普通にしんどかったです。あと、「装置音がうるさい」という理由で謎の愉快な曲が大音量で流れるヘッドホンを装着させられたのが面白かったですね。検査の進行にフェーズみたいなのがあるらしく、装置のガシャコンウォーン的稼働音が1章→2章→3章という感じで変化していくんですよね。どうでもいい経験でした。結局、医者からは「原因は全然わからんけど、まあ体調崩さないようにがんばってね」という意味の言葉を頂き、ほう。という気持ちで終了。木曜に退院しました。5万円くらい飛んで最悪でしたね。正直不摂生していたつもりもなく、反省のしがいが全くない、というのが正直なところです。「お昼ごはんを調子に乗っていっぱい食べたら眠くなっちゃった」とかの方が100倍くらい反省しがいがある。

まあ最終的に、人生は運ゲーだなということを再確認する以外に特に学びはないですね。しかしtwitterでも言ったんですが、僕には「祈り」、つまり「人生のままならなさと折り合いをつける行為」が足りてない。小説を読むのが今一番有力な祈りではないかという説が出ていて、読もうかなと思っています。まさしく、ままならない人生と向き合うシミュレーションですもんね。いい小説募集中。

そうそう、ままならないといえば課題がクソやばいですね。誰か助けてくれ(祈り)

 

(おわりです)