結論のない文章

 つい最近、自分の書いた文章を読み返す機会があった。「冊子」という単語で、サークル関係の人はピンとくるだろう。そうしていると1つ仮説が出てきた。僕の文章は「関連性」と「結論」へのこだわりが強すぎるので面白くないのではないか。
 
 自分で言うのもなんだが、あの文章、出だしの部分はまあまあうまくいっていた感がある。一方、中後半では急速に失速し、何が言いたいかわからないし全然面白くない感じになってしまった。しかしよく考えると、あの文章、筋はかなり明確というか、個人における「中心」と「調和」→会全体にも「中心」と「調和」という概念は適用できますね、というかなりシンプルで露骨な構成をしている。しかし読んでいて何を言っているのかよくわからないし、全然面白くない。
 
 ところで、僕は文章を書く時には、まず適当にバーっと広げて、その後気合を入れて畳む、という方式を取っている。これは別にまずい方法だとは思っていないのだが、畳む時に「筋」を意識しすぎて面白くなくなるのではないか、という疑いが出てきた。畳むフェーズは自分の中で一番労力というか神経を使っている自覚があり、特に「本筋と関連性のない話を削ぎ落とそう」という意識が強い。そして本筋があるということは話の流れと着地点が定まっているということである。畳むフェーズに行くあたりで、本筋を決めなきゃ、と感じて話の着地点をキッチリ決めようとしてしまう。あの冊子の文章、好き勝手に展開している前半が調子よくて、中後半はよくわからない感じで死んでいたのだが、まさしくコレの負の面がモロに出たのではないだろうか。(あとはまあ、中盤にトリッキーな仕込みを入れようという気持ちが強すぎて、それに構成が引っ張られて面白くなくなった、というのもあるだろうけど。)
 
 冊子を読んでいると、やはり文章の面白い人というのが何人も見つかるわけだ。そして構成に着目してみると、やはり論理がガチガチで面白い文章というのはほとんどない。だからといって散逸しているわけでもなく、ちょっとづつ移動しながらも適度に重なりのある話をしている人が一番面白い気がする。こう、ベン図みたいな感じで。もしくは単に円が平行移動してるやつ、ボールが転がる時の絵みたいな感じで(?)。ある程度まとまりのある話を、ちょっと重ねながらズラしてポンポンポンと置いていく、みたいな。この方法だけが全てではないだろうけど、話の構成としては1つのうまい解だと思う。
 
 というわけで、結論をあまりキッチリ求めないようにしようね、というのを試していきたい。別にやったらダメというわけでもなかろうし、むしろ筋と連関をガチガチにやるのが僕の文章の特徴だとしてやっていく線もあるんだろうけど、自分の傾向に逆らってみようというチャレンジは大事な気がする。そもそも今この文章を書きながらも無意識に結論を探しているし、「筋がないなら〆に入るなよ」という脳内ボイスは今も鳴り響いている。これは意地だ。結論をキッチリしないという決意があるぞ、多分今は粗があらあらな文章だろうけどこのまま投稿してやる。これは推敲をしてないだけの見づらいやつになるのでは?という疑いもよぎるが、その時はその時だろう。
 
 ところで、その方針を取ると今度は「うまいこと文章を〆るのが難しい」という課題に直面する。というかこれは普段から難しいのだが、結論がキッチリ決まってると、論理的帰結としての着地+多少のふわっと感 でなんとか文章が終わった感じを出せるのでまだどうにかなる。一方、結論がキッチリ決まってないと、全部ふわっと感で着地する必要がある気がしている。これはかなり大変なんじゃないだろうか。しかし面白い文章を見ると、やはり一連の話の中でのゆるい重なりをうまく使ったり、あるいはそうするまでもなくふわっと着地する術を心得ている気がする。これ特殊能力じゃないか?全然できる気がしない。僕の性格的に、こういう場面では「わからない……なにもわからない……END」や「あえて勢いだけで雑に打ち切るEND」「全然関係ない画像を貼るEND」などで無理やり笑いどころにしてごまかしたくなるのだが、ひねりがなさすぎてあまり多用するものでもないなあ、という感じだ。ん、なんか今猛烈に自分の首が絞まった気がするな。普段やってることがバレた。こんなん言って今後このオチを使ったらクソダサいのだが、いい代案もないし、これからもバシバシ使っていくことになると思う。残念なことだ。
 
 まあそういう感じです。結局何もわかりませんね。
わからない……我々は人生について何もわからないのだ……。
ハイおわり!!!!!!!!!!!
 
 
(おわりです)

今月はブログを書いていこうと思っていたのですが

月初めにこんなことを書いた。

 

iwannatto.hatenablog.com

 

中身はタイトルの通りで、今月はブログを頑張っていくよ、具体的にいくつ記事を書くとかは決めないけどね、と書いてあるだけの記事だ。
「数値目標を決めていないにしても、頑張ると言っているのだからなにかしらの記事を書くだろう」と誰しもが思うだろう。

まさか今日に至るまでゼロ記事とは自分でも思っていなかった。

まあ単にお気持ちを発表していただけで、特に何かの責任を引き受けたわけではないので、別にどこにも実害はないと考えている。強いて言えば「こいつ言ったこと実行しないしクソダサいな」という評価が僕に降りかかってくるくらいだが、これは実態に即した評価なので甘んじて受け入れるしかないだろう。
しかしそれにしても、どうしてこうなった、という当然の疑問が自分の中に湧いてくるのは避けようがない。それならいっちょ分析をしてみようと思う。自己分析だ。就活の練習になるぞ。てなわけでここから先は僕が就活の練習をするのみなので、「それは別にいらないです」という人が読むと「それは別にいらなかったです」が得られて終わりになりますが大丈夫ですか?

 

あまり1つのことを長時間考え続けないようにしている。
これは半分意識的に身につけた習慣で、生活を営むための手段だ。
僕の性質として、ずっと何かを考え続けると思考の淵に飲まれてえらいことになる、というのがある。というのも、考えながら同時に別の行為をするのが本当に苦手なので、意識的に思考のスイッチを切れないと悲惨なことになるのだ。特に、思考のスイッチを切り損ねた状態で「休む」という重要タスクを実行しようとすると、思考にも休息にも失敗して時間が虚無に溶けてゆくのがこの上なく厄介だった。
それを避けるための手段として、この習慣を身につけた。
思考にキリを付ける方法は一旦習得してしまえば簡単で、脳の中身をメモに吐き出したのち、後回しにしようのマインドを発動させることで実現できる。もちろん完全に思考を切れるわけではないが、これが意識的にできるのとできないのとでは大違いだろうな、程度の効果は得られている。

このスイッチ切りを習得したのは、1つの成功体験になっている。というのも、僕がこれをできるようになったのはここ数年の間のことだ。それ以前の、ひどい状態にあった自分自身のことは、まだ覚えている。
そして成功体験になっているが故に、この方法を他にも流用しよう、という発想が出てくる。
その先の1つがブログだった。

記事を書くとき、「常に1つの記事のみに取り組んでカッチリ仕上げる」「複数記事を並行する」という2つの方法が考えられる。このうち一点集中法のほうは、過去に失敗体験がある。中学生だった時分か、もうはっきりとは思い出せない頃だが、ブログでなにかを書こうとして空中分解した経験があるのだ。ちょうどブログが流行った時期で、おそらくインターネット水面下では普遍的に起こっていた現象なんじゃないかと思う。この逆を試したかった。
適当に思いついたことを箇条書きでも書き出し、気分が向いたら付け足す。たとえ細切れであれ、いつかはやる気の向いた時間の総和が記事に足るものになるだろう。そうなったら収穫すればよい。これは理念だけでなく実行には一応移していて、6〜7割くらいに達したかなというものが3つほど、それ以下の細々したものがもう少し多くできた。
こうして遂に1つも結実しなかったわけである。

まあ何が足りなかったかと言ったら、シンプルに費やした時間が足りなかった。
日に1時間くらい取れば何かしら上がってくるだろうという気持ちでいたが、その半分くらいしか実行していない。絶対量が足りない以上、何もできてこないのは当たり前だ。
でももう一個、仕上げに対する執拗さみたいなのも足りてなかったんじゃないかと思う。
1つに囚われると自由度が下がり、つらくなる。それはもうわかったんだよ、と思ったし、もう十分なんだよとも思った。失敗体験として忌避していた。でもこれは避けすぎだったのだろう。

この記事が、今月初めて仕上げた記事になる。
しかし、この記事は執拗さだけで書いている。
中断なしの3時間一気書きでここまで来た。
だからやっぱり、そういうことなんだろう。
執拗さも不可欠という、それだけの話だった。

 

……はい。まあ大体こんなもんだろう。なんとなく頭の中が整理されてきた。

もうちょい自分の中での展望が欲しいので、この記事を仕上げる執拗さはどこから湧いてきたんだろう、というお題も考えてみた。3つくらい出てきた。
まずは自分語りが好きなので死ぬほどノッた、という理由。応用の効きにくい理由だ。
そして事実の裏を取らなくていいラクさ。半熟記事の1つとして「小学生でもわかるコンピューターの仕組み解説」というのがあるのだが、少なくとも自分に出来る範囲で誤りを除かねばならずたいへん大変でなかなか進まなかった。それがないのはラクでよかった。
そして〆切による強制力。この記事のタイトルを思いついたのが今日で、このタイトルは日付をまたぐと無に帰すので強制力が出た。

うーん、役に立つ理由がないなあ。特に、〆切直前のパワーで駆動するのは「いつか破滅をもたらす最悪の手段」だと思っていてなるべく回避したいのだが。〆切駆動、普通に効果が出るのがむしろ厄介なんだ。チギっても社会的にやばくならない〆切を自分で作り出せればいいのだがうまくいかない、自分で適当に区間を切っても自分を一切説得できない。今回は偶然「タイトル的に日付変わるまでに上げないと整合しない」という説得力が出たけど……どうしたものか。ブログを用いた宣言空中投げも、事実として今月失敗してるし微妙な手段だ。それとももうちょいキッチリ言い切れば空中投げでも効果は出るのかな。わからない。展望がないという展望を得ました。

さて、別に自分で反省しただけでオチもなにもないので、最後に本筋から漏れた話だけ書いて終わろうと思う。
僕が文章を書く時に一番好きなフェーズは、序盤戦で方向が見えてからの「好き勝手に枝を広げられる中盤戦」である。終盤戦は枝刈りして全体を整える作業だと思っていて、これはあまり得意ではない。そういう選好を持つ以上、宙ぶらりんが複数できるという帰結は思い返せばまあ納得だ。
だからこそ、その傾向を自覚し、仕上げにも本腰を入れるようなマインドを形成し己を高めなければならない。
とかいうタイプの精神論が僕はクソ嫌いである。
精神論、だいたい具体性が伴わないから嫌だ。選好を自覚するまではいいとして、その先は具体的行動に出なければならない。ところで事実の認識として、「並行」「集中」というのは両立しない2つの別概念ではなく、1軸上の2つの極にすぎないというのがある。これを踏まえると、今回は「並行」の極に寄り過ぎたのがまずく、「集中」の極へ少し引き戻せばよい、という話になる。これは普通にシステムでどうにかできるんじゃないだろうか。保持可能な中途書きの数に上限を設ける、とかやればある程度バランスするだろう。こういう感じで自分のシステムを改善して自分を改善して生きていきたいと思っている。ポジティブですね。

 

(おわりです)

今月はブログを書いていこうと思います

基本的に我々人類は何かしらに挑戦したり今までやってたことを継続したりしながら生きていくわけですが、最近はこのサイクルを1ヶ月単位にするとちょうどいいのではみたいな説が僕の中で出てきてるんですよね
というわけで今月の目標を競プロとブログと読書の3つに決めたので、今日からブログを書いてみようと思います
とはいっても別に毎日投稿するなどのヘビーな課題を自らに課すようなことは一切せず、気持ち的にがんばるよというだけです
何のためにこんなことをやるのか、ということについてですが、それは自分でもよくわかりません。マジか?
とりあえず今浮かんでる雑な候補としては

・うどんを作ったことがない、という話
・コンピューターサイエンスを今持ってる知識で概説してみる
・魔法使いと黒猫のウィズ、そして隔絶
・体力と法律

などがあります。へえ

そういうわけで、やります。何のためになのかが全くわからないですね。わからない。何も。

夢-夕陽と寂寥

現在帰省中ですが最悪です。
意気揚々と帰省したはいいもののなんと風邪を引き、3日近くベッド無駄に転がっています。鼻水が止まらないし喉が痛い。せっかくの帰省が。

 

ところで先程夢を見ました。

 

 

父親の姿がおぼろげに浮かんだ。 茶色い帽子に茶色いコート、茶色いボストンバッグ。紅葉の中に、夕陽を背にした父の姿は、今にも景色に溶けてしまいそうだ。

父は忙しく飛び回っていた。

あまり会えない父は、いつか本当に僕の前から消えてしまうのではないかと思っていた。生活のためだったのか、母もまた忙しく働いていた。忙しなく動き回り、そのまま僕の下から去ってしまいそうだった。全部消えてしまいそうだった。

 

気がついたらそこは病室だった。

正確に言えば、病室のような空間だ。十分明晰であればそこを病室とは言わないだろう。

病室にしては不釣り合いな大きさの大部屋。その大部屋が横に長いとすれば、その縦の方向に簡易な間仕切りが置いてあった。ちょうど健康診断の時の保健室にあるような、視線だけはある程度遮ることができるが声や気配は筒抜けになるような、そういったものだ。

そして、一つ一つの縦に伸びた空間は、まるで廊下のようになっていた。僕はベッドに横たわっている。だが、周囲と僕を隔てるものは何もない。僕のベッドの横を、薄桃色の制服に身を包んだ看護婦が忙しなく通り抜けていく。5mくらい先には、僕とは別の人のベッドも見える。

ちょっと黄色がかった白を基調にした、床の色、壁の色、天井の色。ベッドの清潔な感じ、壁に貼ってある健康診断のポスター、病院に特有の匂いと空気感。それらは全て病院のものだった。夢の中だったので、病院だと思った。

僕は人の多い環境を好まないはずだ。このような不自然に衆人に開放された環境は、落ち着かないものとして感じられるはずだった。

でも、その大部屋は不思議と居心地が良かった。

 しばらくはその部屋を歩き回っていた。どうやら寝たきりというわけではなく、問題なく動けるらしい。

不意に猛烈な喉の渇きに襲われた。ふと見ると、そこには蒸留水を入れる容器*1が並んでいる。どうやら水が入っているらしい。勝手に僕のような患者が触ったら不必要な感染を招いてよくないだろう、と思った。横に誰かいるような気がした。友人のような誰か。その誰かが許可を出してくれた気がしたので、結局その水を勝手に飲んだ。2回ほど。渇きは満たされなかった。

 

不意に、本当に不意に、天気が荒れ始めた。空が真っ黒に染まり、激しい雨風は建物を外界から遮断するかのようだった。どうやら異常事態のようで、なぜか病人も看護婦も医者も人が一斉に僕の居る側に集まってきた。辺りはちょっとした混雑状態になった。

雷鳴が轟き、皆が一斉に悲鳴を上げた。異常な怯え方で、どうやらただの自然現象ではないらしかった。それは何らかの攻撃のようなものだったらしい。窓の外が光で満たされる度に、窓が軋むような弱っていくような。そんな変な感じがした。要塞にいて砲撃を受けているような気分だったのだろう。なぜか僕だけが醒めていたが、他の人は大部分が平静を失っているようだった。

不意に僕の横にいる外国人留学生が、何かをわめき出した。それが何だったのかが思い出せない。何かプロパガンダのようなものというか、混乱して精神的なことを叫んでいたように思う。流れがそちらに向いている気がしたが、彼の考えはひどく気に食わなかった。室内はちょっとした暴動のようになっていて、皆がもみ合っていおりすべてがよくわからなくなっていた。僕はその不快な外国人留学生を絞め殺した。自分の中の凶暴性に驚く間もなく暗転した。

気がつくと全部静かで病院の廊下を歩いていた。長い長い廊下。病院のようだったが、小学校のようでもあった。右側に並んだ窓から、夕陽が斜めに差し込んでいた。

僕の前を歩いているのは白衣を着た女性だ。要は女医なのだろう。だが医者という印象は受けなかった。今から僕はこの人に裁かれるのだろうなと思った。長髪と白衣が夕陽に照らされてオレンジだった。

廊下の壁には何やらこの病院の立派な業績が書いてある。変に特徴的なのが、やたら一般向けにわかりやすく、しかも32個に絞って一つ一つ紹介しているという点だ。「脳外科 世界初の〇〇の手術を成功させ、〇〇病の治療法の確立に貢献」みたいなやつが32個並んでいる。世界的にすごい病院なんだろうなと思った。なんでこんなすごい場所に囚われることになったんだろうと思ったが、何も思い当たらなかった。

ふと目の前を歩いていた女性が振り返った。顔はよく見えなかったが、なんだか母に似ているなと思った。何か言うのかと思ったが何も言わずいつの間にか消えてしまっていた。病院に一人残されたと思った。夕陽に照らされた空間には、寂寥だけが満ちているように感じられた。

 

 

夕方に眠り始めたが、目覚めたときにはもう夜になっていた。喉の渇きを感じた。

懐かしい感情を抱かせる夢だった。

夕陽と寂寥。

一人っ子で両親は共働き。夕方に家にいるというのは案外少なかったが、そうなったときはいつも家に独りだった。夕方というのは、なんとなく寂しさを感じさせる時間帯だった。

昔は病弱だったのでよく風邪で寝込んでいた。学校を休み風邪で寝ていると、やはり夕方には独り取り残される。家の西側の窓からはそれなりに光が入るので、僕一人が転がっているだけの時間帯には室内照明を落とし、窓から入る明かりだけで過ごしていた。

夕方になり差し込む西陽。

オレンジ色に輝く窓を、オレンジ色に染まる室内を。今ではぼんやりとしか覚えていないが、夕陽を見るとどうしても感傷的になってしまうのは、やはりこの記憶から来ているのかもしれない。

夢の後半はずっと夕陽だったし、最後には独り取り残されてしまった。裁いてすらもらえなかった。たとえどれだけ周りに人がいようが奪おうが脅かされようが殺そうが、結局は独りになるしかない、という夢だったのだろうか。

 

まあ、夢なんてものはデタラメなものだ。そういえば夢の最初の方で父が各地を飛び回る忙しい人みたいな感じになっていたがあれは嘘である。父は別に全然飛び回ってないしずっと僕と同じ家に住んでいて毎週日曜日は一緒に過ごしていた。夢に意味なんてないのだろう。それと言うまでもないが外国人留学生を絞め殺した過去はないし、絞め殺したいという願望もない。夢の中の全てが何かの反映だなんて思うほうがどうかしている。

それでも夢というのは何か特別なものに感じられてしまうのはなぜだろう。なんだか夢のほうが豊かな経験ができるような気さえする。案外、目を開いて普通に歩いていくより、目を閉じて生きていくほうが僕には合っているのかもしれない。

*1:こういうの↓

 

ハンディ・クラウン 丸型洗浄瓶 250cc

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なんだかアフィブロガーになった気分だ(なっていません) 

夢-故郷

↓こんな感じの夢の話をするだけです

 

とても懐かしくて苦しい夢を見た。

最近毎日昼寝をしていて20分で起きるようにしている。20分くらい寝ると深い睡眠に入らずに済みかつ日中の眠気が取れるので丁度いい。今日もそうしようとしたが前日までの疲れがあったのか20分過ぎてアラームを止めた時には既に眠気にズブズブで次の瞬間には帰宅していた。帰宅していたがドアを開けた先は本来あるはずの東京の住処ではなく白黒の実家だった。グレーなんてものが存在しない文字通りの白黒で、太い筆で描いたみたいに机や壁だけが滲んだ線と面だけで抽象化されて目の前に存在していた。いつの間にか東京の家がどんなものだったかが思い出せなくなっていた。右前と左前2箇所に2つの部屋があって扉が開いているのが見えた。僕は部屋に入っていったが視点がそこから動かなかったので動き回っている自分を見つめていた。しゃがむことも物を調べることもできず机の周りをぐるぐる回っていて3Dのゲームをしているような気分だった。でもその時はゲームというものには思い至らなかったので不自由だなあと思っていた。不意に今この家には父も母もいないと気がついて寂しく思った。

映画を見ていた。映画館ではなくでかい大学の講義室みたいなところだったが*1、最前面には何かしらの映像が映し出されていた。怪獣を倒す話だったような気がする。後ろ半分の最前列で映画を見ていて、休憩が始まったら前半分と後ろ半分の真ん中の踊り場みたいなところで物販が始まったが、その時には後ろ半分の真ん中あたりの席にいた。横には旧友の山田がいたような気がする。山田の後についてやけに急になった上に長くなった階段を100段くらい降りると物販ではパスタサンドと手作りプリッツを売っていた。パスタサンドを食べると何の変哲もないところから突然極細パスタを揚げたものの束(茹でる前のそうめんにそっくりだった)みたいなのがいくつも出てきて不快だった。手作りプリッツを買わなかったので山田に「買わないの?」と言われたが、「まあプリッツだからね」と答えた。

劇場みたいなところにいた。そんなに広くなく、僕は部屋の隅にいたので全体が見えた。僕の居る隅の対角が舞台みたいな低い場所で、そこから広がるように客席が段々になって広がっていた。なので僕のいる場所は一番高い場所だった。舞台にはさっきの映画で見たかもしれないでかいタコみたいな怪物がいた。特に暴れるでもなく大人しくするでもなく、生物然としてうねうね動いているだけだった。最前列に居る大人たちは触手に薙がれながら携帯がどうとか騒いでいた。時間の経過とともにそのタコは大きくなっていったのでいつのまにか目の前にいた。触手が蠢き時折僕を撫でていった。間近で見るとグロテスクだし生臭いのであまりいい気分はしないなと思った。

いつの間にか白いエプロンを着けた???が僕を慌てた様子で部屋から連れ出していた。ドアがないと思っていたが背面にドアがあったらしく、ドアを出たら小学校の廊下だった。???は背が高いし僕は見上げる気がなかったから白いエプロンしか見えなかったし声も女性であることしかわからなかったが、恐らく僕は小学生で???は先生的な何かだったのだろうと思う。服が汚れたので着替えろと言われたので更衣室に一緒に向かっているようだったが、今日は入園式なので玄関に大量の幼稚園児とその親がたむろしていた。???は玄関の向こうに僕を押しやったので幼稚園の男子更衣室に入った。中には僕と同じくらいの男子1人と、上級生のように見える女子2人がいた。女子はこっちを見て笑いながら服を脱ぎ始めたので僕はいけないと思ってそちら側に背を向けたが、何がいけないのかはよくわからなかった。どうやら部屋の扉や窓が開いているようなので苦労して全部閉めるともう夕方で部屋には誰もいなかった。夕日が差し込む明かりのついていない部屋を見渡すと、安いプレハブの中みたいな場所で、ザラ板に布をひいただけみたいな床で、お外あそびについて書いてある紙が貼ってある壁で、意味が全くわからないけど懐かしい感じがした。安いタオルみたいな布を踏みしめながら、自分はここから来たのだと思った。

懐かしさに襲われたところで不意に今の自分は何なのかという疑問が出てきた。慌てて携帯電話を取り出して親に電話をかけると、自分の体が消えて僕は通話になった。その携帯電話は僕が中学の時に初めて買ってもらって1年しか使わなかったガラケーだったが、それしか携帯電話ではなかった。親は電話に出たし映像まで見えたが、こちらの呼びかけは全く聞こえないようだった。消えた自分を取り戻そうと懸命に呼びかけたが、意識に枷がかかったように重く何もできずに沈んでいった。その時の僕は意識だったので、そのまますべてが沈み込んでいった。父親が怪訝そうに画面を見ながら「聞こえないなあ……」と言い、やがて去っていくのを悲しく眺めていた。

起きた。相変わらず意識に枷がかかったようだったが肉体はあるようだった。東京の家が分かったし自分が大学生だということもわかった。手元にはガラケーではなくスマートフォンがあって、今の自分が何者かというのを少し教えてくれていた。それでも反射的に親に電話をかけていた。親の自宅も携帯も試したが応答はなかったので、やっと今は平日の昼間であり電話に出るはずがないということに気づいた。電話は諦めたが、自分を連れ去ろうとした夢の記憶を洗い流したいという衝動は消えず、しばらく躍起になってアプリで漫画を読んでいた。そこからしばらくしたらやっぱり記録しとこうみたいな機運が高まってきて今に至った。

時計を見ると、アラームを止めてから1時間しか経っていなかった。時間に対して情緒的な経験量が圧倒的に多いので驚いた。これなら起きているより寝ている方が効率がいいのではないだろうか。

*1:駒場の11号館に似てた、違ったけど

失敗

最近毎日生きることに失敗している。

何を以て失敗しているかは知らないけど最近ほんとにもうダメで、朝起きたら昼で飯食って寝たら夕方でポケモンやったら夜中だったりする。というかこういう記憶があったらまだいいほうでだいたいは一日の記憶を失っていて、しかも夜振り返ったら今日のことを覚えてないとかそういうのではなく一日中常に記憶がなくてさっきまでの自分がよくわからない。

何をそんなに失敗しているんだろう。

 

小学生の頃はゲームばかりやっていて、そこでは失敗と成功が明確に定義されていた。だいたいの場合は毛を抜くとか木を切るとか何か所与の条件を満たせたら成功で満たせないもしくは満たせなくなると失敗だった。現実世界は別にゲームではないのでそんな成功とか失敗とか出てくるわけではないはずだが、それでも人間は何かしら内部に失敗と成功を定義している。たぶんそれは社会から受け取ったものだ。受け取るのは受け手の問題なので社会がそれを発信しているとは限らないのだがともかく受け取ってしまった。

 

僕の根底には、「自らを形作ること」が成功であるという考えがある。

より消極的に、自らを形作れないことが失敗であると言ったほうが近いかもしれない。

 

学校に行って育ってきた。学校に行く、そこで座る、話を聞く、人とおしゃべりする、漢字を書く、数字を書く、係をする、ボールを蹴る、制裁を受ける、自分を殺す、この過程が矯正でなくて一体何なのだろう。受験というのはもっと単純で、大学の求める通りの頭を形成したら成功、できなければ失敗だ。一般的にはこれを成長と呼ぶのだろう。求められるままに自らを形作ることを。成長は善であるのでちゃんと成功者には報いらなければならないし、それゆえ失敗者は「発達障害」などの烙印で区別されなければならなくなった。自動的な肉体の成長が止まっても社会の値踏みが待ち構えている以上、我々大学生は成長を止めることは許されない。社会に入っても、多分これは解消されない。何もしていないと死ぬ。何もしていないと死ぬことに対して、僕は何もできない。

 

僕は社会の一部であるけど、同時に僕の一部は社会だ。社会が非成長を許さない以上、ここ最近の僕のだらけた時間は記憶として形を保つことが許されなかったんじゃないかと思う。あとに残ったのは失敗の印象だけだった。つらい。

 

時間を売って失敗を買う生活は単に気分的にあまり楽しいものではないので、そろそろ失敗から抜け出したい。でもだからといって別に成功はしたくない。そもそも社会が嫌いなので元から無理な話だ。「失敗」と「成功」という言葉は、漢字を見る限りあまり綺麗に対応した対義語とは言えないし、なんとなく実態もそんなもんなんじゃないかって気がする。失敗でもない成功でもない、その間隙を縫うように生きていけたらいいんじゃないかと最近思っている。